『観心本尊抄』第二十答に引く「吉蔵疏云沙者翻為具足」(吉蔵の疏に云く、沙は翻じて具足という)の文は『注法華経』『開目抄』にも見え、近時出典が明らかとなったので改めて顛末を記したい。

第二十答・受持譲与段の七つの文証。傍線部に「吉蔵疏云沙者翻為具足」とある。
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『悉曇蔵』巻第六の「吉蔵涅槃疏云」の文中に「沙者翻為具足」の文がある
第二十答の受持譲与段では無量義経、法華経、涅槃経、大智度論、無依無得大乗四論玄義記、吉蔵疏、法華玄義の七つの文証を引き、わずかな出入りがあるが『注法華経』『開目抄』にも同じ文が見える。『注法華経』のそれは第一巻表の見返しにある涅槃経、法華経、無依無得大乗四論玄義記、吉蔵疏、法華玄義、大智度論、般若経の七文で、山中喜八編著『定本注法華経』第一巻1番~7番にあたる。ただし法華玄義と大智度論の文は取意で、般若経の文は他筆である。
ことの発端は、元慶4年(880)の安然撰『悉曇蔵』巻第六に『注法華経』の涅槃経、無依無得大乗四論玄義記、吉蔵疏、大智度論の一経三疏(大智度論に引く般若経を加えれば二経三疏)の文が見えることを池田令道氏が平成23年に発見し、12月の興風談所定例勉強会のおりに、宗祖は『悉曇蔵』を披閲していただろうと口頭で発表したことにある。広く知られるようになったのは、大黒喜道氏が平成24年6月刊『訓下本注法華経』の末註(四九八頁上)にこれを記し、12月発行『興風』二十四号所収の論文に「池田令道師のご指摘に拠る」(一四一頁)と記してからである。しかし池田氏も大黒氏も詳しい考察は行っていない。
『悉曇蔵』巻第六の一経三疏の文を『大正蔵』第八四巻のページで示せば、涅槃経の文は四二二頁下段、無依無得大乗四論玄義記の文は四四六頁中段、吉蔵疏の文は四四三頁上段、大智度論の文は四四七頁中段(般若経の文は四四六頁中段)に見える。この内「吉蔵疏云沙者翻為具足」の文は『悉曇蔵』に「吉蔵涅槃疏云」として引く約四六七〇文字の長文(四四〇頁上段~四四三頁中段)の中にあり、必要箇所だけを示せば次のようである。
吉蔵涅槃疏云。今釈此文。略為三意。…(中略)…三者明。此文字世出世共用。若是世間人用字。則以自名生死。若是仏用之則以自名涅槃。《猶如一阿字。阿者言無。若是世間之人用。則云無衣無食等。若是仏用之。則云無生無滅無患等。既用此字以名涅槃。故云字者名涅槃也。》…(中略)…短阿者下第二別釈十四音。此中合後四字。都有五十字。但此中明十四音。《大品明四十二字。謂一切諸字根本。猶如此󠄀間有宮商等五音。有四十余字。以為根本。》諸師爾。…(中略)…沙者翻為具足。娑者此󠄀云歓喜。呵者此󠄀云奇特。…(中略)…不応於此󠄀生怖畏也。
下線部の「沙者翻為具足」の文がそれで、『注法華経』『開目抄』『観心本尊抄』の「吉蔵疏云沙者翻為具足」は涅槃経の注疏の文と判明する。
『悉曇蔵』巻第六の「吉蔵涅槃疏」は『大般涅槃経疏』
吉蔵の涅槃経の注疏は『涅槃経遊意』一巻と『大般涅槃経疏』二十巻があり、『涅槃経遊意』に当該文は見えない。一方『大般涅槃経疏』は現存せず、追跡もここまでかとあきらめかけたが、何か手がかりはないかと探したところ平井俊栄氏の論文「吉蔵著『大般涅槃経疏』逸文の研究(上)」「同(下)」を見つけた。平井氏は日本の代表的な三論学者の安澄(763~814)、玄叡(~840)、珍海(1092~1152)、澄禅(1227~1307)の著作五書に引用する『大般涅槃経疏』の逸文を抜出整理している。
『注法華経』『開目抄』『観心本尊抄』に引く涅槃経の「薩者名具足義」は『北本涅槃経』巻第八・如来性品の文、『南本涅槃経』でいえば巻第八・文字品の文であり、宗祖は涅槃経の「沙者名具足義」の「沙」を「薩」に置き換えている。それはさておき、注目すべきは「吉蔵疏云沙者翻為具足」の文が涅槃経の「沙者名具足義」の文に対応していることである。
涅槃経文字品を注釈する『大般涅槃経疏』の逸文は「吉蔵著『大般涅槃経疏』逸文の研究(上)」八七~八八頁に三七〇文字の文章が集録され、その内の二箇所が『悉曇蔵』の「吉蔵涅槃疏云」として引く文章と一致した。上記の《》で括った箇所がそれで、これにより『悉曇蔵』の「吉蔵涅槃疏」は『大般涅槃経疏』と特定できたわけである。ただし残念ながら傍線部「沙者翻為具足」の文は三七〇文字の中に見えないため、「吉蔵涅槃疏」(大般涅槃経疏)に「沙者翻為具足」の文があったことを示す『悉曇蔵』の引文は貴重である。
こうした経緯により、「典拠は『大般涅槃経疏』であると、確定できると思う」と記し、他にも新知見を盛り込んだ拙稿「『観心本尊抄』受持譲与段の文証の考察─『注法華経』『悉曇蔵』との関連を含めて─」を書き上げた。これは令和6年刊『苅谷定彦・小西日遶・大平宏龍三先生頌寿記念論文集 法華仏教の潮流』に収められている。詳細は閲読を乞う。
出典に関する従来の説明
これまで「吉蔵疏云沙者翻為具足」の文の出典はどのように説明されてきたのか、管見に入ったものを年代順に列挙してみよう。
①安国院日講、元禄8年(1695)『録内啓蒙』「吉蔵疏モイマタ本文ヲ見アタラズ」
②優陀那院日輝(1800~59)『観心本尊鈔略要』「義疏二」
③望月歓󠄀厚、昭和8年『日蓮聖人御遺文講義』第三巻「隋の嘉祥大師吉蔵に法華義疏十二巻がある。今の文は義疏二(二丁)の文である」
④山川智應、昭和14年『観心本尊抄講話』「吉蔵法師の「法華義疏」第二の文」
⑤清水龍山、昭和14年『日蓮聖人遺文全集講義』第十一巻上「今文は其著法華義疏巻二〈二丁〉の文である」
⑥兜木正亨、昭和39年『親鸞集日蓮集』日本古典文学大系「法華義疏に類文なし」
⑦戸頃重基・高木豊、昭和45年『日蓮』日本思想大系「法華義疏二」
⑧茂田井教亨、昭和53~55年の講義録『本尊抄講讃』中巻「『法華義疏』の二ノ二でございます」
⑨山中喜八、昭和55年『定本注法華経』下巻の注法華経索引「吉蔵法華義疏中不見此󠄀文。或謂法華遊意歟『大正』34─639a往見」
⑩庵谷行亨、昭和56年の論文「日蓮聖人の妙字釈」(後に昭和59年『日蓮聖人教学研究』所収)「吉蔵のいかなる書を指すか不明。『観心本尊抄講話』(山川智応著、三九二頁)、『日蓮』(日本思想大系14、一四五頁)は「法華義疏二」、『日蓮聖人御遺文講義』第三巻(望月歓󠄀厚著、二二〇頁)は「義疏巻二(二丁)」とするが、巻二はもとより『法華義疏』にこの文を見い出すことはできなかった。『録内啓蒙』(第六巻六八丁表)は「吉蔵疏モイマタ本文ヲ見アタラズ」とし、『親鸞集日蓮集』(日本古典文学大系、三六五頁)は「法華義疏に類文なし」と述べている。なお吉蔵の『法華遊意』や『法華玄論』に妙についての釈義が展開されているが、やはり類文は見当らない」
⑪株橋日涌、昭和57年『観心本尊鈔講義』上巻「法華義疏十二巻中の第二巻の文」
⑫浅井圓道、昭和57年『仏典講座38観心本尊抄』「隋の嘉祥大師吉蔵に『法華義疏』十二巻があり、引文は第二にある」
⑬渡辺宝陽、昭和63年『日本の仏典9日蓮』「嘉祥大師吉蔵の『法華義疏』」
⑭田村完爾、平成14年『傍訳観心本尊抄』「吉蔵の『法華玄論』十巻、『法華義疏』十二巻、『法華遊意』一巻、『法華統略』六巻には、この文は見えない」
⑮庵谷行亨、令和3年『日蓮宗新聞』(後に令和4年『『観心本尊抄』の世界』上巻所収)「嘉祥大師の法華経の解説書」
これを見る限り、少なくとも江戸時代初期にすでに出典不明であったが、おそらく不明となった時期はもっと遡るだろう。そして江戸時代末に日輝が記した法華義疏説は兜木正亨氏、山中喜八氏、庵谷行亨氏、田村完爾氏が否定したにも拘わらず長年引き継がれた。しかも吉蔵の法華経に関する注疏だろうという先入観は最後まで払拭されず、涅槃経の注疏はまったく視野に入っていなかったのである。(菅原)


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