日蓮遺文『四信五品抄』と富木常忍『不審状』について

 『四信五品抄』は宗祖日蓮の信行観を明示した重要遺文であるが、その述作には富木常忍の『不審状』が密接に関わっている。両者の関係について検討し、『四信五品抄』が述作された当時の宗祖と常忍のやり取りや状況について考えてみたい。

 周知のように、本抄述作の由来は、下総の富木常忍が建治三年に身延の宗祖へ書状を出し、種々の法門について質問したことが起点となっている。所謂『不審状』と称されるもので、その返状が『四信五品抄』なのである。

 日興撰『富士一跡門徒存知事』(『日興上人全集』三〇七頁)には、それを示す次のような記述がある。

※漢文はクリックして拡大して見ることができます。(以下同じ)

 これは宗祖の重要御書として、日興が『立正安国論』をはじめとする十部を掲げたもので、「四信五品抄一巻」には「法門不審条々を申すに付いての御返事なり。仍て彼の進状、奥に之れを書く」との注記がみられる。「彼の進状」が所謂『不審状』であり、これは現在も富木常忍筆が中山法華経寺に現存している。その全文を以下に掲げてみよう。

 ○富木常忍『不審状』(『日蓮宗宗学全書』第一巻上聖部一八〇~三頁。①~⑦の丸番号は私に付した。)

〔進甲州状案・切封〕

 一見して分かるように、本状は「追言上」と「畏令言上候」という二つの部分(書状)から出来ている。

 前者の「追言上」は重ねて申し上げるの意味なので、あとに続く「畏令言上候」の一段が常忍の出したはじめの書状である。それに対する宗祖の御返事がしばらく無かったので、「追言上」として二回目の書状を出されている。それには「進上した愚状は参着しましたか」とあるので、宗祖のもとに届いていない場合も想定し、常忍は一回目の書状「畏令言上候」の一段を念のため「追言上」に再録・添付したのである。

 「追言上」では、近ごろ鎌倉にて起こった奇妙な事件――竜象房か燈爐堂法師かが八幡宮に人肉を供えた云云――という話を手短に伝えた上で、先の書状に「御返報」がないことに不審を述べて、「重ねて恐惶謹言」と結んでいる。

 次で、先に出した本題たる書状「畏令言上候」では、常忍は仏道修行における様々な心の葛藤を吐露し、宗祖に親しき教導を願い出ている。

 あらあら内容を述べれば、自身が仏法に遇えた悦びと「法門」を体得できない苦しみ。齢六十を過ぎて仏法を信行しなければ、罪業に引かれて悪趣に堕してしまうこと。根性闇鈍にて「法門」を忽ち忘れてしまうこと等々。常忍にとって最大の願いは、「(聖人)の恩顔に親近し、常に法門を耳に触れる」ことであった。

 何遍も繰り返される「法門」(朱字で示した)とは、詰まるところ戒定恵三学の「恵」であり、仏道修行の根幹にあたるもの。常忍は成道を遂げるため、法門=「恵」をまず願い求めたのであろう。

 次に常忍は「一、」として、諸法実相の観を凝らそうとも心が暗く観念がままならい。また法華読誦の修行に勤しむも、気忙しく騒々しい日常に心が乱れる。どうすれば法華真実の妙理を得られようか。つまり禅定の修行について宗祖に教示を求めている。これは戒定恵の「定」に関する悩みである。

 さらに「一、」として、肉食など具体的な戒律について常忍は尋ねる。①に、肉食して間もなくでも行水すれば本尊に向かって読誦してよいか。②に、一夜を過ぎれば行水せずとも読誦してよいか。③に、五辛(韮・ニンニク等)を食し、行水せずに読経してよいか。④に、行水したとしても不浄・汚れの服を着して仏堂に入ってよいか。⑤に不浄・汚れの身でも毎日休まず読誦してもよいか。それとも月に一度と限り、精進潔斎のうえで読誦するのがよいか。⑥に、不浄・汚れの身に袈裟を付けてもよいか。⑦に、不浄・汚れの際にどう観念すればよいか等々。これらは持戒・作法の質疑にて、三学の「戒」にあたっている。

 すなわち、常忍は法華修行の根本となる戒定恵の三学について、宗祖に教えを請うたのである。末文に「条々の不審、具に厳旨を承って、如法に之れを修行せしめんと欲ふ」とあるのが、『不審状』と名付けられた所以であろう。もっとも内容的には『不審状』というより、常忍はこれより在俗を離れて身延に居住し、宗祖に戒定恵にわたる教導を受けたかったのであろう。いわば本状は「懇願状」のようなものであった

 これらの常忍の質問に対して、宗祖が教示されたのが『四信五品抄』である。よって常忍の書状と『四信五品抄』は上代よりセットで伝来している。それは『富士一跡門徒存知事』の示すとおりで、大石寺本も本抄書写の後ろに同筆で『不審状』が付されている。また後世の録内諸写本(林日邵本・本法寺本・日奥所持本・妙伝寺本など)でも、『四信五品抄』と『不審状』をセットで収録する。

 ただし、『四信五品抄』を一読すれば分かるように、宗祖は常忍の細々とした質疑に答えていない。戒律・作法に関わる①~⑦の件にも、個別具体的には触れられていない。

 また、戒定恵の三学については『四信五品抄』の冒頭に、

とあるように、少しく近来の学者とは見解を異にしていた。つまり「学匠たちは法華修行に戒定恵の三学を具することが肝要で、一を欠いても修行の成就はないと説示してきた。今まで日蓮もそう考えてきたが、一代聖教はともかく法華経に入って戒定恵を考え直すと……」と述べて、さらに後段では、

と示して、「以信代恵」の法門を展開している。これを要するに、法華修行では三学を遠ざけて「受持信行」を根幹にしたと理解することができよう。そうであれば、常忍の質問の一々に宗祖が応答しなかったのは、むしろ道理の赴くところであった。

 なお、常忍の『不審状』について門下がコメントしたものに、行学院日朝(1422~1500)の『四信五品抄私聞書』がある。『不審状』に言及した門下の文献は少ないので次に掲げる。

 ◎行学院日朝撰『四信五品抄私聞書』(身延文庫蔵。未刊)

 『私聞書』においても、常忍の「畏令言上候」に宗祖の御返事がないので、「追言上」を以て重ねて尋ねたとする経緯が述べられている。また常忍の数々の質問に宗祖が答えなかったのは、「網目には取り合わず、節々の事に取り合わせてはマギレ之れあるべし」との見解を示している。加えて日朝は門流の相伝として、末法の法華修行は「謗法折伏」「謗法対治」を本意とすると述べている。以下次回へ。(池田)

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