『雑々抄』の真言経の説時について

日蓮大聖人の大日経等真言経の説時について

 山上師の『日蓮遺文解題集成』(以下「解題集成」)では、大日経等の真言経の説時の扱いが日蓮大聖人の遺文の系年を特定する目安の一つになっている。たとえば『聖密房御書』解題(155頁下段)では、

「また良諝・広修・維蠲が『大日経』を方等部とする説を紹介しているが、日蓮は文永三年『念仏破関連御書』 あたりまでは『大日経』を第五時法華部に入れており、それが方等部に入れられる文献的初出は文永六年に系けられる『小乗小仏要文』 であり、それは文永五年閏正月蒙古使者来朝を機に、翌文永六年頃から真言宗が破折されるのと軌を一にしている。」

と述べられ、また『一代五時図 〔広本〕』解題(182頁上段)には、

「さて右のごとく文永三年までは『大日経』が第五時に入れられていたのであるが、それが方等部とされるのは、現存遺文においては文永六年頃に系けられる『小乗小仏要文』(真蹟完存)がその嚆矢であり、また身延曾存の文永六・七年頃に系けられる『聖密房御書』では、「良諝和尚・広修・維蠲なんど申ス人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず、但方等部の経なるべし。」 とあって、中国天台宗八祖広修等は、天台滅後に伝来した『大日経』を方等部に入れていることを紹介しそれを妥当としており、およそこの頃から真言宗三部経は方等部に入れられることとなったと考えられ、それはまさに中国真言宗の三三蔵および日本東密弘法の破折が本格化する時期と対応している。そうであれば本図は少なくとも文永六・七年以降ということになろう。」

として、大聖人が文永六年頃に、唐天台山の広修・維蠲等の説によって大日経等の真言経は方等部の経であるとされるようになったことが知れる。『聖密房御書』・『一代五時図(広本)』等の諸御書で、広修・維蠲等の説によって大日経等の真言経を方等部の経とされたその根拠になっているのが、いわゆる「唐決」であろうと思われる。

「唐決」とは、日本比叡山の僧から唐の天台僧に宛てられた質問状とそれに対する返答でなっている。①「最澄疑問 道邃答」、②「円澄疑問 広修答」、③「円澄疑問 維蠲答」、④「義真疑問 答者不明」、⑤「光定疑問 宗頴答」、⑥「徳円疑問 宗頴答」との6編である。この中で②③の円澄疑問2編と⑤光定疑問⑥徳円疑問の、それぞれの疑問中には「毘盧遮那経(大日経)の説時が法華経の前か後か」を尋ねている。ここで②③の広修・維蠲の答えと⑤⑥の宗頴の答に違いがあることは興味深い。天台山の広修・維蠲は大日経等真言経は方等部の説と答えているが、一方長安の醴泉寺の宗頴は真言経は法華・涅槃と同じ第五時の説であると違った返答をしている。加えて、それぞれの質問状の宛先も一律ではなく、天台山の住僧宛てか、それとも唐都の長安の住僧宛てかという違いも、疑問の発信者を含めて興味を引く(卍続蔵100巻810頁・同831頁・845頁・856頁参照)。

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卍続蔵100巻「円澄疑問 維蠲答」下段部分参照

『雑々抄』中の真言経説時について

さて次回刊行予定の「興風叢書[30]」『雑々抄三』の中にも真言経の説時について触れているところがある。すなわち『雑々抄第十六』の第七項目の

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に関連しての質疑応答である。少し長文であるが紹介してみたい。

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現代語に訳してみると、

尋て云く、部の共と別は得益に依るが、華厳経の得益をみるとひとえに別教の益で、円教の益は少ないのではないか。
仰せに云わく、華厳経の説は初後仏恵同円(玄義「初後仏恵円頓義斉」の取意か)と言われている。ただ得益に関して言えば、ある門流の相伝では天台と真言は一つであると言い合わせいる。真言経等新訳の経では、その得益については権教の益に似ている。経の説は皆別教の位に約していると見られる。なお真言経等を五時に収めるにあたって、恵心流と檀那流の両流の意は同じではない。檀那流においては真言経は方等部に属すとして、真言の深密の説は方等部の機根に向けたものであるとする。一方恵心流においては法華・涅槃と同じ第五時に属すとし、説時は爾前経と同じではあるが不待時の説として法華と同等に属し、且つ本門の説に摂属している。此の真言の益を皆実益に属するように華厳も同じように心得べきであるとしている。いわゆる名別義円の益である。故に法華経妙荘厳王品に説かれる法眼のように、名は権教であっても実は実教の益である。すなわち弘法大師が華厳を天台と同等のように引き上げて置いたのも同じことと思われる。華厳宗の意もまたそのようである。天台も華厳を下すことは、なお円教を存していながら行布門の説をも存していて、権を即実と開会しないから下すのであると。
私に云わく、五大院の教時義では真言を華厳・法華の摂属と釈している。これは後発の新訳であることから考慮してこのように言っている。ただ天台で不待時(爾前経)の経と釈しているからには真言も旧訳の経であるということであるから、法華涅槃の摂属とはならないではないか。
仰せに云わく、真言は大日如来の説で出世成道も異なっているから、釈迦一代の所説の摂属というわけにはいかない。それは法界宮という界外土の説であるからである。ただ雑部の真言においては釈迦の所説も五時に亘ってあり、また真言には胎蔵界金剛界合行とか瑜祇経等あって一同というわけにはいかない。また界外土の説であっても釈迦所説の法華経と全く同じであることを、一行阿闍梨が大日経義釈に「此の経(大日経)の本地身はすなわち妙法蓮華経」等云ってるのがそのことを意味している。不待時の法華というのが真言であるということは、決してそういうことではない。

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身延文庫蔵 日朝本『雑々抄第十六』部分(※図版は転載禁止です)

となるかと思う。ここでの「仰云」には、真言の説時において檀那流では真言の説時を五時中の方等部の摂属とするのに対して、恵心流では法華涅槃と同じく真言も不待時の法華という観点から第五時の摂属とし、なお且つ法華経本門の説に属すと述べている。中世の天台宗でも、天台大師が五時四教を制定されて以後の後発の新訳大日経等の扱いをめぐって、五時への配当については解釈が分かれているようで、ここでの「仰云」と「私云」にも意見の違いがあるようである。(成田)

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